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Senor Coconut

1985 - 1991

1985年頃、独学でドラムを始めるが、まもなくドラムキットからドラムマシーン、4トラックレコーダー、シンセサイザーに乗りかえる。数年後、自身の作品やライセンス作品(最初の「Frontline Assembly」の作品など)を、テープのみの形態で流通させる、“NG Medien”を共同で設立。1987年頃、「Lassique Bendthaus」が完成、最初の作品である『The Engineer’s Love』がリリースされ、すぐにソールドアウトする。自負心が大きかったため、レコード会社の協力もないままに、プロ用のレコーディングスタジオを予約し、『Lassique Bendthaus』と、アルバム『Matter』を録音。『Matter』と一連のシングルは、ほぼ3年に亘る制作期間を経て、1991年1月にようやくリリースされることになる。『Matter』は当時、革新的なプロダクションと、アルバム全体がアナログサウンドである(1990年当時、アナログの音は最先端と言える音ではなかった)ということから、非常に大きな評判を呼んだ。同年、最初の“Atom Heart”名義による12インチ、『Whitehouse』がリリースされ、続いて様々な変名名義によるダンスフロアー・オリエンティッドなシングル群をリリースしている。

1991 - 1995

アトム・ハートが「テクノ」という、当時まだ真新しいシーンの中で、その名を確立していくのに時間はかからなかった。その新しい潮流は、「テクノ」という名称さえ与えられていなかったことを、ここで理解しておかねばならない。1992年には、エレクトロニック・ミュージックの流れを変えた、いくつかの作品が見える。「テクノ」のライヴ録音を初めて12インチに刻んだ『Elektronikka』(アトム・ハートとピンク・エルンのライヴ)、オンガク、レジスタンスDの最初の2枚のシングルなどである。まもなく、そのような音には「テクノ」、「トランス」という分類がなされていく。よくある話だが、初期の革新に満ちた日々の熱意は、すぐにつまらない日課に埋没してしまうものである。アトム・ハートは自らサポートしたり、アイデアを提供してきた多くのDJたちとの作業をやめることにする。彼が1993年には既に停滞を感じ取っていたことは疑いのないところである。続いて、テツ・イノウエ、ピート・ナムロック、ピンク・エルンといったアーティストたちとのコラボレーションを行う。テクノにしか目がない頭でっかちたちに囲まれることに嫌気がさした彼は、シーンとのかかわりを完全に断ち、1994年、“ラザー・インタレスティング”の立ち上げを決意する。“RI”はアトムの個人的な遊び場になるはずだった。つまり、動きが鈍く、しばしば無能でもあるレコード会社を介在させることなく、新しい音楽をすぐに体験でき、リリースすることの出来る場所である。“ラザー・インタレスティング”は、月に一枚フルアルバムをリリースする、という過酷なスケジュールの下、出発する。同じ頃、初めてのリミックスの依頼が舞い込んでくる。そして、最後にはなったが、12インチ『I’m a secretary』がベルギーでチャートのトップ40にラインクインする、という重要な出来事が起きている。90年代初頭のエレクトロニック・ミュージックの分野には、無名ではあるが、本当にユニークな作品がいくつもある。例えば、リサ・カーボンは、1996年までに3枚のアルバムを発表しているが、後に「イージーリスニング・エレクトロニカ」と名づけられることになる分野の先駆者と見ることができるだろう。一つ、確かに言えることがある。それは、これらの音があらゆる面で時代に先んじていたことは、売り上げの数字が低い、という点に主に現れている、ということである。

1995 - 2001

ラザー・インタレスティングからリリースされた作品群のリストはどんどん長いものになっていき、トータルで200に達する。この時期に多くのコラボレーションが生まれている。テツ・イノウエとともに、アトムは“HAT”というプロジェクトで、誰あろう、細野晴臣(YMO)とコラボレーションを行う。“HAT”はラザー・インタレスティングと細野のレーベル“デイジーワールド”からリリースされる。その時期にコラボレーションを行った音楽家には、ビル・ラズウェル、ダンディ・ジャック、ヴィクター・ソルがいる。アトムの作品のライセンス、販売、流通は、メジャーレーベルだけでなく、小さなインディペンデントのレーベルをも通して行われている。この時期の「ライヴ」活動はヨーロッパ全土に広がり、1995年には初めてオーストラリアの地を踏んでいる。時代がそろそろ変わる時期である。そして、1997年は正に変化の年だった。1997年の初頭、アトムはドイツを後にし、はるか遠く離れたチリのサンチャゴに移住する。全く刺激的ではないエレクトロニック・ミュージックシーンからの流行やハイプから遠く隔絶されることで、チリはすぐにアトムにとっての個人的な独房として機能することになる。ある2つのプロジェクトが、どちらもフランクフルトにいたときに始められたものではあるが、「アトム」という名をエレクトロニック・ミュージックの歴史からすぐに消し去ることになる。アルバム『LB’s』と『Pop Artificielle』がその、最初の衝撃だった。1999年にリリースされ、世界中でライセンス販売されることになる『Pop Artificielle』には、ポップス、ロックの曲がエレクトロニックにカバーされたものが10曲収められている。「人工的(artificial)」と冠せられている所以である。このアルバムでは、古き良き「歌」を「トラック」という視点から再提示しているのだ。引きこもりがロマンティックな愛を語る詩人に出会い、『Pop Artificielle』が新たな道を切り開き、やがて多くのアーティストたちに取り入れられる。『Pop Artificielle』以後、そのおかげでエレクトロニック・ミュージックの新しい世代が生まれ、その影響がそこここに感じられることは、誇らしげに言うことができる。二つ目の衝撃は、2年ほど後に、“セニョール・ココナッツ”の『El Baile Aleman』という名で訪れる。セニョール・ココナッツの処女作、『El Gran Baile』は1997年に日の目を見た(フランクフルトで作業が進められ、サンチャゴで完成した)が、ラテンミュージックの重々しいカットアップ、という内容だった。当時の世界がこのアルバムを受け入れるだけの準備ができていた、と言えば嘘になるだろう。ラザー・インタレスティングからリリースされた『El Gran Baile』は多くのいわゆる「音楽ビジネスのプロ」たちのかぶりをふらせることになった。が、先見の明のあるテイ・トウワだけが全面的な理解を示してくれ、彼のレーベル、“アカシック”のためにライセンスが取られ、リリースされた。2年後、『El Baile Aleman』が完成し、世界中でライセンス発売される。このアルバムは、セニョール・ココナッツがクラフトワークに取り組んだプロジェクトで、現時点でアトムの最高傑作と目されている作品である。互いに全く関係なく、遠い存在であるように見えた二つの世界が突然、一つの奇跡的な音楽プロダクションとなって溶け合い、異なるマーケット、世界、人々を地球規模で結びつけたのだ。二度目にして再びアトムは、「世界」を揺るがすことになるのである。「世界」、「世界」…とりあえず、「エレクトロニック」ミュージックの「世界」、と言っておこうか。それともこの「世界」は、もう他のものに変わってしまっているだろうか?世界中の批評家たちは皆好意的だった。「これは新しい!」と。『El Baile Aleman』には特に新奇なライヴコンセプトはなかったが、アトム自身の指揮の下、7人のミュージシャンからなるステージは、クラフトワークの曲をラテン風に再解釈し、毎夜のステージをパーティーへと変えていく。元はサンプルのカットアップだった音楽を演奏するためにフルオーケストラを舞台に持ち込む、なんていうことは当時誰もしようとはしなかった…しかし、世界を困惑させた、他のレコードのことも忘れないでおこう。“フランジャー”(バーント・フリードマンとのユニット)はデジタル・ジャズを発明し、さらにリサ・カーボン、ラザー・インタレスティングなどなど…

2001 - 2005

さて、リリース当初は完全に誤解されていた多くの作品が、突然日の目を見る。アトムの膨大なカタログが様々な形で再発され、ようやく正しい名前とレッテルが発明される。「エレクトロラティーノ」の誕生である。その後数年は「セニョール・ココナッツ」プロジェクトのツアー(ヨーロッパ、メキシコ、ブラジル、その他忘れがたいイベントなど)に費やされる。その他にも、メルツバウ、デペッシュ・モード、シャンテール、セザリア・エヴォラ、マーティン・L・ゴア、テイ・トウワ、スケッチ・ショウに素晴らしいリミックスを提供したり、「フランジャー」名義の新しいアルバムと、そのプロジェクトの一環で南アメリカを回り、ラパス、アスンシオン、サンパウロ、コルドバ、ブレノスアイレス、といった土地をツアーしたりした。2003年、「セニョール・ココナッツ」のアルバム『フィエスタ・ソングズ』をリリース。再び珍妙なカバーを行っているが、今回は英米のポップソングを扱っている。『フィエスタ・ソングズ』はヨーロッパ、アメリカ、カナダ、ブラジル、チリ、香港、韓国、日本でリリースされる。他には、坂本龍一との“チェイン・ミュージック”プロジェクトでのコラボレーション、atom™の曲がロシアの宇宙探査機に乗せられて宇宙空間へ打ち上げられる、ラザー・インタレスティングが10周年を迎える、などがある。ラザー・インタレスティングのタイトル数はある時点で数えるのをやめてしまったが、300には達している。最近のリリースは以下の通り。atom™『iMix miniLP』(ラボラトリー・インスティンクト), atom™『Acid Evolution』(デイジーワールド/ロジスティック), 『CMYK』(R. I.), Sr. Coconut compiles 『Coconut FM』(エッセイ・レコーディングス)など

2006

ロジスティック・レコーズからの“atom™ & Pink Elln Live”シリーズ、セニョール・ココナッツ『プレイズYMO』をリリース予定。
そして全世界をまわる大規模なツアーも敢行される。
CATEGORY: WHO 2011.01.01
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